昭和50年01月23日 朝の御理解



 御理解第78節
 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄い人筋となって、これが神の機感に適うたのじゃ。神の機感に適わぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)事があり。また大切な者が死んで、身代を残して子孫を切らしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになって来る。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ。」

 神の機感に適うた氏子が少ないと、此れは信心を頂いておりましても、中々神の機感に適うたと言う人が少ないと頂くべきでしょうね、信心が無かったら尚更の事です、信心を頂いておっても神の機感に、神の御心に適うた氏子が少ない、御心に適うて参りますと段々、人間も身代も健康も足ろうておかげが頂かれる、神のおかげを知らぬから互い違いになると仰せられる。
 神のおかげを知ると言う事がもうたいてい解っておる様であり、たいていお礼を申し上げてる様ですけれども、本当にお礼の足りなのに驚いてしまいますですね。昨日、北野の田舎の方から時々参って来る方達が新しい方をお導き、三人でお参りしておりました。その人は不思議なおかげを頂いて、まあ健康になって、それでまあ嬉しいから人にも色々伝えてお参りして見える訳ですが、丁度本当にあげん弱かったつが、もう薬一服飲まんで済む様になったと言うお礼をね、言うて来られました。
 それで今度は子供達が一つ元気で、孫達が又おかげを頂く様に私はもう此れだけのおかげを頂いておるんだからもう言う事はない様に言うておられましたが、丁度その時にですね、地震があったんです。皆さんの所でも随分ひどい地震でした。そしたら二人の方今日私が御理解をしておる時は一つもう自分はどげんなったっちゃよかと言うそのおばあさんの方に逃げ出しなさった、えらい走ってですね、何処さん便所にばし行かっしゃったじゃろうと思うて、何の逃げちゃるとじゃった、本当に人間ちゃですね。
 もうそれこそ死んだってよかと言う口の下からですね、やっぱり命はおしかと見えてですね、そのばあさんが一番口に逃げなさった。昨日一昨日でしたか、先一昨日ですか、栄四郎がご本部に帰りますから、兄弟みんな寄っておりました、若先生を始め男の兄弟ばっかり四人、本当に四人ながら黒衣を着てもうそれぞれ、まぁ一人前の教師にお取立てを頂いて、まあ本当におかげを頂いて、もう子供の成長して、そしてまぁ親の手になり足に成りしておかげを頂いて行く。
 本当に有り難い事だと御礼を申させて頂いたんですけれども。あれだけ子供が成長しておると言う事は、親自身もそれだけもう老衰しておると言う事になる訳ですよ、ね、いや孫が段々可愛らしゅうなって行く育って行く、それこそ自分の老いも忘れて、それをただ喜ぶと言う事だけですけれども、私は自分が老いておると言う事、言うなら白髪が増えて来た事、皺が出けて来た事、まあそのこと事態もです、矢張りお礼を言わなければいけないと言う事です。
 私は此処ん所を迂闊にしておった様に思うんです、子供達が立派に成長しておるおかげを目の当たりに見せて頂いて、そして言う事も、もう本当に人には大人の様な事を皆が発言致します、まあ勝彦、若先生を除いて他の三人の子供達も申しました事ですけれども、問題は銘々が本当に力を受けて、合楽の御比礼にどもおんぶする様な気持ちとであってはならないぞとと言うて、まあ色々お話した事でした。
 そう言う様な気持ちになっておったからでしょうか、一昨日その明くる日です、久留米の佐田さんがお夢を頂いておられます、そのお夢の中にですね、私がね物を言わんようになると言う事です、私が物を言わん様になると言う事は此れはお国替えを意味する事でしょう、ね、けれどもね、けれどもあのー佐田の奥さんと大橋の秋永信徒会長がおれば私のお話し、私の内容を説明する事が出来ると言う意味の事を頂いた、有り難いなあと私は何時居なくなってもいいなあとだから思いました。
 だからそれはね決して悲しい事でも困った事でもないのであって、此れも昨日でしたけれども、菊栄会の日にすき焼き会を、此処で皆さんやられます。少し頂き過ぎたんでしょう、こう食欲が無い様な感じがする、その事を神様にお願いさせて貰いよりました、そしたら本当にお願いだんじゃなか、お礼だなと思わせて頂いた事は、御心眼にね、夏豆の硬くなって此処ん所が黒くなりますね、夏豆のこうあれはなんと言うんでしょうか、黒くなった所を頂く、まだカチカチになっとらんけれども、黒くなっとる。
 今日の此処であります、まめで賢うて、まめでと言う事は健康でと言う事です。健康であるけれどもです、矢張りなら、年を取るに従って、それこそ白髪が増えて来る、皺が増えて来る様に、内臓もやっぱり同んなじ働きしか出来なく成って来ておるのですから、そこを心掛けて行かなければならない、言うならば内臓も若い者の様に一応に、食べたり飲んだりすると遣り損う、と言う事を頂いてから、本当に改めてねお礼を申し上げねばならないと言う事に気付かせて頂きます。
 はぁもうこんなに皺が寄って、又こんなに皺が増えてと言う事は困った事じゃないのです、それは丁度子供達やら孫達が愈々成長して、愈々おかげを頂いておると同んなじ働きが親の身の上にも起こっておる、と言う事ですから此れはお礼を申し上げねばおられんのです、ね。はぁもう孫が這うごとなった、立つごとなった、言わば息子達がもうそれぞれまあ一人前の様にならせて頂いた、はぁ有り難い、ね。
 だから有り難いと言う事は、なら自分自身もです、親自身も子供達やら孫達が成長して行きよる、と同んなじ様に矢張り成長していきよるんだと、それは、皺が寄る事も体が弱くなる事も、ね、白髪が増える事も同んなじ、神様の御働きを頂いての事ですから、白髪が生えたと言うて不平不足を言うたり、皺が寄ったと言うて困った顔をしたりしてはいけない、その事皺の一本一本に、白髪の一本一本にそれだけの働きを頂いての事だから、お礼を申し上げなければならないなあと言う事を思いました。
 私は佐田さんのお夢を頂いて、はぁ此れはまぁ一時は生きられるばいなと思った事があるんですけれども、そう言うお夢を頂いてです、そう言うお夢を頂いて、その後に色々と頂いておられる事がです、ね、そんなら私の言う事を完璧に、言うならば私の信心を完璧に、二人の言うならば、人達が成程深さにおいてです、広さにおいてですか、又は発言される、発言の仕方においてもです、矢張り私の信心と言う物を矢張り一通りはマスターした人達ばっかりなんです。
 けれどもね此処ん所をちっとばっかり、改めて行かなければならないと言う事を、色々頂いてありましたから、私は神様にその事をお願い、どう言う意味だろうかと思うてお願いさせて頂きましたら、像を頂きました、そすと一つはカバを頂いたんです、カバと像を頂いたんです、どう言う事だろうかと。此れは例えて言うならば佐田の奥さん、又は秋永先生だけというだけではなくて、此処にご信心を頂いておられる方達が、結局は私の信心を頂いて下さる事になるのですから、ね。
 頂けなくてです言うなら、頂き足らないと言う事と同時に改めて行かなければならないと言う事もあると言う事です。佐田の奥さんの場合は私は像だと思うです、もうそれはあちらのお話を頂きよりますと、もう本当に素晴らしいです、けれど少しお話しが増徴になって来る、長く成って来るです、此の事を解らせようと思うて、それば十も言えや良かつを十二にも十三分にも言おうとなさる時に、二分、三分が、そのまぁ言うならば、もう要らんお話になって来ておる訳です。
 そすと肝心要の要る所迄がです、言うなら良か話し、良か話と思うて頂きよると最後にこちらが飽く様に成って来たらです、もう初めから言うならば、良い話の所迄、言うなら傷を付く様な感じがするんです。私は佐田さんの奥さんぐらい私の信心を十二分に説明して下さる方はなかろうと思う位だし、又体験の上においても、それを持っておられる所に強さがあるんです、ね。
 例えば難もうよろっともして御座らん、もう即その場で有り難いとこう受けておられる、言うならば幸福の、昨日頂きました幸福の、言うならば原理と言うか、そこの体得が出来ておられると言う事です、ね、だから皆さんも矢張りそう言う、おかげを頂いて頂かなければならない。私はカバと言うのは動物のカバですよ、口の大きいとがおりましょうが、牛のごたるあれです、此れは秋永先生のお話は素晴らしい、深さがある目をつぶって聞きよったら私が話しよる様な感じがする程しである。
 けれどもねちっと口が大きすぎると言う事です、おおば過ぎるおおばになると言う事です、実を言うとですねおおばじゃないです、最も言い足らない位です、合楽の信心を語ると言う事になったら。けれども例えばそのう表現がですね、もう本当にうだごつ言い御座るじゃなかろうかと信用しない者は思う様な、言うなら話し方をされるんです良く良くなら合楽の信心を解ってこの頃からも。松栄会があり信徒会があり、この頃は合楽の信心に皆がこう感心を持ち出した、私が言う事に耳を傾けるようになった。
 だから本当にお話がし良うなった。
 はらーお月次祭たんびんに何百本と言うて御神酒のお供えをするとか、とにかくもう朝の御祈念はまあそれこそ、まあ沢山なお参りがあると言うその言い方がですね、もう本当に合楽の御比礼を知った人は、そうじゃろうとこう言うて頂くけれども、少し抵抗して聞きよるとです、あれがごうなこつばっかり言うと、言う風な感じがある訳です。ですからね、此れは例えば、なら佐田さんの奥さんと秋永先生の事を、言うなら私の信心をある意味においてはマスターして。
 それをまた人にも伝えられるだけのもの内容を持っておられ発表される時にです、其処ん所の言うなら、ブレーキと言うか改まりと言う事が出来るけれども、もって生まれた性分ですからね、中々ちょっとやそっとには改められない訳です。気が付いておってもついついそう言う事に、なられるのじゃないかとこう思うんですから、まあそう言うまあ、本当の改まりが出来なさらんだけは、私が長生きをして良いと言う事になりますからね。私が物を言わん様になったら、ね。
 私の信心を言うならば、十分に場合には十二分に人にも伝えて下さる方達が、合楽に出来て行っておると言う事、ね。だから言わば、私が言うならば、お話が出来なくなってです、段々お話が短こうなって、そしてお話をせん様になってもです、せん様にじゃない、出来なくなってもです、その事に対してお礼を申し上げなければならないと言う事なのです。私は今日は無事達者で子孫も続き、身代も出来、一年勝り、代勝りのおかげを受ける事が出来ると言う事をです。
 ただ表面だけであるとただ無事達者であると、それはもう若い者も勝たん様な達者な健康なおかげを頂くと言う意味ではなくてです、ね、それは特別の病気とか難儀な事になってはなりませんけれども、孫が育ち子供が育って行っておると同様に親もまた、言うならば、お育てを頂いておると言う事。それが現れが場合によっては皺であり、又は白髪である、又は内臓がです、若い時の様には行けないと言う様な事柄もです。どうぞ若い者と同んなじ様におかげを下さいと言った様な願いではなくて。
 そのこと事態にお礼を申し上げて子孫が続くと、又続いておると、子孫が成長しておると言う事に対してです、お礼を申し上げる所に言うなら、一年勝り代勝りのおかげと言う事になって来るのじゃないでしょうか。私は当然消えて行くのだ、当たり前であり後に子供が残り、子供が又消えて行く孫が又、と云う様に此処ん所の繰り返しのです、私はスムーズであると言うこと事態にね、私はお礼を申し上げなければならないと思うです。昨日、若先生が今度父の五十日祭が御座いますので。
 偲び草に父が残しておりました歌を色紙に私が書いて、それを印刷屋に回すから書いてくれと言うから昨日書かせて頂いた事ですけれどもね。もう本当に亡くなって、親を亡くして有り難いなんて言うたら笑われるかもしれませんけれども、その歌を書きながら涙がこぼれる程有り難い実感をもって書かせて貰いました。「有り難しただ有り難し、有り難し我が身一人は元の身にして」、本当に此の元の身にしてと言う事がね。若い者が何時も若い通りであると言う事ではないと思うんです。
 まあ父がそう言う深い物を思うたり感じたりして読んだ訳でもないでしょうけれどもです、ね。言うならばお国替えをさせて頂いてです、所謂お国替えですから、ね、言うなら大地から出でて大地に帰ると言うのですから、元の身にしてです、しかもそれが順調であると言う所をです、それがスムーズである、九十三までも数えのお生かしのおかげを頂いて、病気らしい病気もせんなりに、次ー第ーいに。言うならば目が薄うなったり、耳が聞こえなくなったり、頭が禿たりして行っておると言う事が。
 そのままです言うならばそう言うおかげの中に有り難し、ただ有り難しと言う事に成って来るのじゃないかと思うのです。ね。そして元にまた帰らせて頂けれると言う事のね、私はりんねと申しますかね、そう言う働きを受けておること事態にお礼を申し上げるおかげを頂く時に初めて生まれる事も又有り難いならば、ね、あの世に帰って行くと言う事もまた有り難いと言う事までが解って来る様な気がするんです。段々老衰して行くその事が、そのこと事態もだから有り難いんだと言う事を今日は聞いて頂きました。
   どうぞ。